はてな村の終焉
あまりにも驚愕したので記事を書く。
kanose 「美少女アイコンが」っていうのをすぐ「オタク差別だ!」みたいに言うけど、それ差別っていうの?という話。オタクは属性が変えられるものなんだから差別にならない
これを読んだ瞬間固まってしまった。なんなんだこれは。
これが「はてな村」なるものの村長なのか。この程度の人間が
「村長」なのか。であるとすればはてな村なるもののレベルもたかがしれている。
「属性変更が可能であるものに対しては何を言っても差別にはならない。嫌なら属性を変えればいいのだ。」
参った。私ははてなを過大評価し過ぎていた。サードブロガーやはてな女子が跳梁跋扈するのも当たり前である。そういった隙がはてなには既にあったのである。
そういった隙に付け込み、サードブロガーやはてな女子は好き勝手を言っていたのだ。記事について何か文句を言われても、「お前のこと言ってないし。ていうか嫌ならお前が属性を変えろよ。結婚しろ。オシャレをやめろ。オタクをやめろ。ドヤ顔をやめろ。その趣味をやめろ。」
はてな女子 「結婚しない奴の意味がわからんwww」
「30過ぎてオシャレしてるOLwwww」
読者 「ふざけんな!」
はてな女子「お前のこと言ってないし。ていうか嫌ならお前が属性を変えろよ。結婚しろ。30過ぎたらオシャレすんな。」
参った。スプツニ子やkanoseが言う「美少女アイコン」というのは明らかにオタクを指している。「日の丸アイコン」と言ったらネトウヨを指すのと同じように。それを「オタクとは明言していない」と言い逃れるのはあまりにも卑劣な態度だ。そんな当てこすりのようなことをしておいてどの口が差別問題を語れるのであろうか。
黒人がプールに入った途端にプールから一斉に出て行く白人たちが居たとする。黒人は憤慨する。ところが白人は「別に君が入ったから出たわけじゃないよ~」と言うのである。
こういうことを我々は許さない。差別問題とはそういうことだ。
「あなたの真意がどうであろうがあなたの行動は差別なのだ。」
こんなことも解かっていないというのか。そんなアホさ加減でよくもまぁ東浩紀や虚構新聞を叩けたものである。
人工知能学会誌の表紙が不適切だ、までは同意する。
「あなた方の真意がどうであろうが、この絵はアウトなのだ」という論法で責めればスプツニ子は間違いなく勝てた。ところがスプツニ子派はここで人工知能学会側の「真意」を推理、ゲスパーし始めるのだ。そんなことをすれば、オタク側だってゲスパーを返すに決まっている。結果、スプツニ子の過去作品は参照され、「お前のこの絵もお前の○○意識が~」となり、泥沼の論争になる。スプツニ子のダブルスタンダードも露呈された。
steel_eel 『ポリティカル・コレクトネスの話題を自分から持ち出してるのに、自分に反論してきた相手の属性をこういうやつらだと決めつける態度を臭わせるのは、明言しなくてもその時点で全然ダメでしょ。』
その通り。だからこういった議論に価値はない。他者の「真意」を問題にした時点でお話にならないのだ。
スプツニ子の言動は間違いなくフェミニズムにとってマイナスになる。彼女は(日本型)フェミニズムの終焉の象徴だ。日本フェミニズムは風立ちぬの二郎に負けたのである。
「差別ではない」
「純粋に夢を追っただけです」
と言い通されたらそれに沈黙するしかないのである(むしろ賞賛する)。他者の真意を問題にすれば自身の真意も問題にされる。他者の真意などわかるわけがない。なのにどうも「他者の真意がわかる」と誤解している人間が多い。こういう人間に議論はできないのだ。ゲスパー(超能力)合戦になって終わりなのだ。
最後になるが、やはりkanoseの発言には衝撃を受けた。私の批判するサードブロガーやはてな女子も、今後のはてなのスタンダードになっていくのだろう。かつての魅力ある議論ももう見られなくなるのかもしれない。
人工知能学会の表紙は女性蔑視?