社会に承認・包摂を要求するってかなりのことだぞ?

社会に認められたい・社会に包まれたいってかなりメチャクチャな欲求だと思うし、

ならばそれなりのリスクをとらないといけないのだが、どうもはてなでは

「リスクなしで認められたい」

と公言してはばからない人間が後を絶たない。

 

 

さて、承認欲求と包摂欲求について、id:possesion_cdp氏はこのような理解をしてい

る。

承認欲求というのは、出る杭化したい。特別扱いされたい。個性を尊重されたい、という感じ。
包摂欲求というのは、埋没化の希求というか、特筆するものが無くても認められるような穏やかな安心感がほしい、という感じ*1

 

これで正しいと思う。

スターになりたい承認欲求と、家族になりたい包摂欲求である。しかしはてなー

求める承認欲求と包摂欲求は、何かズレてるような気がする。

 

まず承認欲求だ。特別扱いされたい。個性を尊重されたいと彼らは言う。

しかし私に理解できないのは、まず彼らは特別扱いや個性の尊重をどうもゴールとし

て認識していることだ。そこには最後に救いがあると思っている。

でも私にはそれらはゴールには思えない。まして救いや幸福にも思えない。

なぜなら、「特別扱い」された人間や「個性を尊重」された人間がその地位から離れ

た行く姿を何回も見ているからだ。つまり、決して承認は長続きはしないということ。

そしてまた、特別扱いや個性の尊重をされ続けているトップクラスの人間たちの孤独

を考えると、私は彼らが気の毒に思える。クリスチアーノ・ロナウドやリオネル・

メッシがいかに孤独な戦いを続け、傷を受けているか。またいかにそれらを私的領域

の「包摂」で癒しているか。それを考えないといけない。

 

どうもはてなーワナビーは、何も考えずに「特別扱いされたい!」とのたまってい

るようだが、甘いのである。社会から特別扱いされるということは孤独との戦いで

ある。無理解や偏見との戦いである。『出る杭化したい』のなら闘争は避けられな

いのである。ここら辺の覚悟がサードブロガーやはてな女子には足りなかった。

表現欲求は無いのに承認欲求だけはあった。

「書くことは無いけどチヤホヤされたい」である。この目論見はもちろん上手く

いかなかった。書くことが無い人間が注目を浴びるには過激な言動をするしか道は無

かった。そういった話題作りをはてなの住民は叩いた。

 

叩かれたサードブロガーやはてな女子はどうしたか。彼らには表現欲求が無いので、

叩かれたらすぐ萎えてしまうのだ。表現欲求のある人間なら、少しの叩きにもめげは

しない

 

(これは悪質な誹謗中傷を擁護する発言にもなってしまうので注意が必要)

 

のだが、サードブロガーやはてな女子は萎えた。また萎えはしなかった図太い新参ブ

ロガーたちも、完全に開き直って炎上芸人として生きていくしかなかった。こうし

て、彼らの当初の計画は頓挫した。

 

「特別扱いされたい!」という承認欲求優位の動機は完全に間違いなのである。

もしサードブロガーやはてな女子が「何かを表現したい!」という表現欲求優位で

ブログを書いていれば、はてなの住民は歓迎しただろう。炎上問題も起こらなかっ

たはずだ。

 

「俺は、はてなでスターになる!」などと最初から宣言されて活動されても、

我々としては困惑するしかないし、「それで、スターになってどうするの?」

と私などは思ってしまう。マンガの世界ならスターになって最終回だろうが、

我々は生きている人間であり、誰かがスターになった後も我々の営みは続いていく。

「海賊王になる」とか「世界一のハンターになる」などはマンガの世界だから

成り立ちえるわけであって、それをネットでやられても困るのである。

 

そしてスターになることは、社会で「何者か」になることは、「癒しの世界」に行く

ことではなく「闘いの世界」に行くことである。そこで重要になってくるのが、

包摂」の場だ。闘いで受けた傷を癒す私的領域

 

ここでも誤解をする人間が後を絶たない。この私的領域の癒し、「包摂」を

「社会でしてもらいたい」と言い始めるのである。私には理解不能だ。

社会は敵であっても、仲間ではない。社会なぞに認められなくても私は平気である。

なぜなら私には「私的領域」があるからである。私的領域で満たされている以上

公的領域でいくらかの傷を受ける余裕はあるのである。自機ストックがあると言って

良い。

 

私などはこう考えているのだが、この公的領域私的領域を混同させてしまっている

人間が多い。シロクマなどもそうだろう。公的領域私的領域の区別がサッパリつい

てないから、ピングドラムワナビーの話なんかに結び付けてしまうのだ。大間違い

である。ワナビーが救われることなど無いのだ。

 

MONSTER 「なまえのないかいぶつ」

http://www.youtube.com/watch?v=0yXMT0CYW_Q

 

千と千尋の神隠し』でカオナシが教えてくれたではないか。公的領域

「僕を認めて」なんか始めたら、それは地獄の始まりだ。「僕を認めろ」と要求

された千尋がとても迷惑そうにしていただろう。金銀財宝をちらつかされても千尋

は要らないと言った。千尋にはもっと大事なもの、家族があったからだ。そしてあの

とき千尋が金を受け取らなかったのがカオナシにとっての救いになったのだ。そして

カオナシは暴走爆発し、自身の承認欲求の無限性を思い知ったのだ。

 

承認欲求は悪である。にも関わらずにそれを「悪くない」と言い切り、ワナビー

地獄へ引きずり降ろそうとするはてなーの言説に私は断固反対する。承認欲求や

包摂欲求は悪いことではないが、求める相手が違うのだ。その相手を間違えると

その先は無限地獄だ。そんなことも理解してないからピングドラムも読み間違えるの

である。ネットにおける承認欲求も包摂欲求もすべからく悪である。

 

 

http://possession.hatenablog.com/entry/2014/01/10/002716

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1

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