書き手もイナゴ

星井七億がヘッタクソな文章を書いた挙げ句に炎上して、「誤読された!」と憤激し

た後に自身のブログ等を消した。星井七億に共感を寄せるブロガーたちがすぐに慰め

の記事をアップしたり、「今後こういうことが起こらないためには」みたいな話し合

いをしているが、私には無意味なものに思える。彼らは「表現すること」について深

く考えたことが無いからメソッドなんかに頼るのだ。今回の件にしたって、あれは

「やり方」以前の問題である。

 

昨今増えた、大彗星ショッカーを筆頭とする文章力の無いブロガーたちであるが、ま

ずは彼らの態度である。彼らが炎上を起こすと、彼らは必ず「なんで僕の頭の中の文

脈を知ってないんですか!?」と読み手に逆ギレする。だが、読み手にしてみれば、

ブロガーの頭の中なんかわかるはずがないので、ブロガーの文章のみからいろいろな

情報を判断しなければならない。我々が判断するのは書かれていることのみである。

ところが、炎上したブロガーは「書かれていること以外も読み取れ!」と読み手に要

求するのである。またこの激しい態度が、一部の読み手イナゴに火をつける結果とな

り、炎上は勢いを増していく。

 

昨今のブロガーはどうも「僕の頭の中は見えてるよね?」というスタンスで文章を書

くので、びっくりするぐらい言葉足らずなことが多い。我々が文章を書くときは普

通、言葉を尽くして、誤読されないように努める。ところがああいうブロガーは、そ

ういった努力を全くしない。「誤読する方が悪いんだ」とは大彗星ショッカーの弁で

あるが、そんないい加減な姿勢で文章を書いているのである。

 

 

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あーあ、くだらない誤解でまたインターネットがつまらなくなった。お前ら小田嶋の言う生成された群衆以外の何者でもないよ。 2014/01/18

 

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バスでもありがとうを言う関西人なので飯食ったら当たり前だろアホかと思いつつ見ていたが犯罪自慢でないただの個人ブログの記事でこんな責任を負わねばならんのかね?まあ友人知人を守るってのが大きいんだろうけど 2014/01/18

 

 

お笑いである。『生成された群衆』は昨今タケノコのように沸いてきたタレント志望

ブロガーの方ではないか。供給側になれば需要側より高い地位に行けると思ったら大

間違いである。インターネットをつまらなくしたのがお前らである。そして星井七億

はインターネット上で商売をやる以上、責任からは逃れられない。商売をやるなら、

星井にインターネットで好き勝手を言う権利は無い。『ただの個人ブログの記事』で

はないのだ。その道を選んだのは星井自身であり、今すぐ商売をやめれば星井はまた

インターネットで好き勝手を言えるようになる。

 

 

結局これも同じことである。表現に対する大した覚悟も信念も無いのに、表現活動

しているのだ。その無防備さ、思慮の無さから彼らは毎回炎上する。「この文脈では

ただの悪口に見える。読んで傷つく人が居るかもしれない」と、彼らは考えないの

だ。何も考えずに、書き込みボタンや公開ボタンを押しているのだ。そして彼らは毎

度、「何でみんな怒ってるの・・・?」や「俺の脳内ぐらい読み取れや馬鹿!」と

いったリアクションをとるのである。はっきり言って文章を書く資格が無い。

 

そんな意識の奴らが「炎上しない方法」だけを習得しても、意味が無い。「なぜ私は

それをやるのか」を理解しないままやったって、そんなもん犬が餌を貰えるから「お

手」をやっているのと同じである。性根が腐っているのにテクニックだけ覚えたって

読み手を騙すことはできない。

 

書き手もイナゴなのである。自分がイナゴだから寄って来るのもイナゴばかりになる

のである。てめぇの能力や信念が無いこととインターネットがつまらなくなったこと

は全くの別問題である。自分の名前は前面に押し出して、しかし責任は2ちゃんねる

名無し並みで、というのは有り得ない。責任から逃れたいのなら商売をやめて、自分

の芸名を返上して名無しに戻るべきだ。

 

大彗星ショッカー系のブログはどうしてこうも文章を書くことに注意しないのだろ

う。というか、彼らの文章にはまるで情熱が見えない。一体何のために彼らがブログ

を書いているのか、未だにわからない。大抵の人間のブログには情熱がある。書く必

要性を感じる。ところがショッカー系のブログの文章は私の心に何も迫って来ない。

そうすると、これはもう、生活(アフィ)のためにブログを書いているのだと判断せ

ざるをえない。ショッカーの記事がいつも釣りだ釣りだと言われるのも、結局彼の文

章がふざけてるようにしか見えないからである。しかもそれは良い意味のふざけでは

なくて、悪い意味での、投げやりなふざけである。彼の文章には思考の跡が全く見え

ないのである。

 

「炎上」はいろいろとある。イナゴという言葉も定着した。イナゴという侮蔑の表現

は浅はかな読み手に向けられるものだった。ところが2013年後半からはどうである

か。読み手というよりも、書き手の方に浅はかな人間が現れだした。だからどうも昨

今の炎上も、明らかに書き手に責任のあるものが増えた気がする。このままでは駄目

だ。書き手も読み手もイナゴになってしまうのか?そんなのは嫌だ。私は、しっかり

した他者の文章が読みたい。心が表現された、生きているブログを読みたい。2014年

はそういったものがたくさん読める年になるだろうか。現状では、それはなかなか厳

しそうだ。