私的な繭

小保方さんはたぶんずっと、関係性の中で生きてきたんだと思う。私的な、特別な関係の中で生きて来たんだと思う。それは別にいやらしい意味ではなくて、小保方さんはそのときどきの目上の人や、場のリーダーから常に「君だから」「君なら」って言われて生きてきたんだと思うし、彼女がそういう扱いに乗っかって生きてきたのも、それは彼女の無意識のうちの生存戦略なんだと思う。

 

だから、彼女が公的なものや客観性のあるものから初めて決定的な裁判を下されたのが、ネイチャーに切り貼り論文を送りつけたことから始まるこの一連のSTAP騒動なんだと思う。それまでは早稲田大学ですら小保方さんには客観的な・公的な判断を下せていなかった。

 

小保方さんは30歳近くまで生きていても、生身で社会に出たことが無かったんだろうと思うし、またそういうことに対する自覚も全く無かった。たぶんずーっと「関係性の繭」「私的な繭」に包まれて生きてきて、それが社会だと思ってたんだ。

 

そうやって生きられる人がそうやって生きて行くことは別に悪いとは思わない。けれども、公的な場や客観的な場に出るときに、自身の繭をできるだけ破って生身で出てくる誠実な人たちが社会を支えているのは事実だし、そういう人たちが、繭に包まれたままノコノコとお気楽に社会に出てくる人間を見たらムカつくのは当たり前だろうと思う。高須克弥が、小保方さんを「ズルをしてる」と評したのは、高須克弥自身が美容外科の仕事を通して、社会や繭と格闘して苦労している患者さんをたくさん診てきたからだと思うし、高須克弥自身も、美容外科を日本に広めるために繭から飛び出て、社会と格闘した人の1人だからだと思う。俺は別に高須克弥のファンでもなんでもないんだけど、けど大抵の人だって規模やレベルは違えど、高須克弥と同じことしてるんだよ。みんな偉いと思う。

 

だからこそ、小保方さんの生き方ってアンフェアに見える。フェアじゃないのが世の中だってのはもちろん知っているけれど、だけどせめて公的な場や客観性のある場においては、フェアネスを維持する態度や行動をとってくれないと、世の中はもっとアンフェアになると思う。小保方さんは会見でもずーっと繭に包まれたまま人と接してるから、あんなおかしな質疑応答になるし、彼女の繭に取り込まれそうになってる男性も大勢居る。それはフェアじゃない。自分の外見の魅力や、態度や話し方で人の心を動かすのは悪いことじゃないし、それが求められる場だってもちろんあるんだけど、あの会見はそういう場でも時でもなかったはず。小保方陣営は「iPS細胞を超えた」と大々的に発表して山中教授の研究の邪魔をしたし、それに関わる病気を患ってる人の心もかき乱した。そういうことに対して小保方さんは責任があるのに、会見の場ではあいからず繭に包まれたまま、心がどこにあるのかわからないような態度で喋っていた。それは「ズル」だ。いつまでも繭に包まっているのはズルだ。実験成功の「コツ」を明記しないのも「ズル」だ。

 

そして最大の問題は、そういうズルい人が何でここまでの地位に登りつめられたのかということ。小保方さんは、他の業界に行けばここまで大騒ぎされることもなかったと思うし、成功してたかもしれない。なのになぜ、「客観」や「公平」とは真逆の世界の人間(佐々真一氏曰く『夢の世界の住人』)である彼女が、『科学の世界の真ん中』に居られたのか。これは日本の文化や社会構造の問題だと思う。なぜ誰も小保方さんの繭を破けなかったのだろうか。もしくは、無視できなかったのだろうか。むしろある種の男性は彼女のその繭を補強する役割すら果たしていたんだ。小田嶋隆の言う『虚力』にまんまと嵌まった男性がたくさん居たんだ。

 

私は、小保方さんのそういう生き方を少し羨ましく思う一方で、それはたぶんいつまでも社会と対峙できない生き方であるのだろうとも感じている。繭に入るのか出るのか、公の場なのか私的な場なのか、今私が考えていることはそれらのことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い女性がかわいそうだから、と甘やかすオジサンこそが、マジメに頑張っている女性を潰していることについて書いてみました。

http://d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab/20140412/1397254473

 

あれは「女子力」のイベントだった

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140410/262713/?rt=nocnt

 

日々の研究 - 2014-03-11 火曜日

http://d.hatena.ne.jp/sasa3341/20140311