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自己紹介より行動の実績

 

 

 魔法科高校のなんちゃらってアニメをニコニコで見たんだけど、もう7話までやってるのに視聴者たちが未だに「どうなってんだよこの世界はwww」「何でこうなってるのかわからんwww」みたいなコメントばっかりしてて、そこに原作ファンが「こうこうこういうことだよ」って補足コメントをして視聴が成り立ってる感じで、状況としてはメカクシティアクターズとあまり変わらないことになってる。

 

 メカクシティアクターズもそうなんだけど、7話になってもまだ登場人物たちが自己紹介と自分たちの交友関係の再発見みたいなことをやっていて、視聴者たちは呆れ果てている。「いやもう自己紹介はいいから話を進めろよ!」っていうのは誰でも思うことだし、だからメカクシティアクターズは本スレがアンチスレみたいなことになってる。

 

 魔法科高校については俺は詳しくはないんだけど、チョロッと見たところ、登場人物たちが棒立ちで延々と会話してるシーンが多くて、退屈な要素がメカクシティとあんま変わらない。そして、それだけ頑張って長々と説明してるのに、登場人物のことや世界観を視聴者側が全く理解できてないところもこれまたメカクシティと似ている。

 

 そういう過剰な自己紹介、過剰な設定説明っていうのは、俺がサードブロガーなるものを攻撃したときにも批判した要素の1つなんだけれども、「私はこうです」とか「私のブログはこうです」という記事をいくら連投されても、受け手としては「はぁそうですか」以外に言い様がなく、「いやもう自己紹介は十分聞いたので早くあなたの書きたい事を書いてください」としか返せないのである。

 

 なぜなら自己紹介や自己設定などアテにはならないからだ。「僕はこうなんです」と言われて「はいそうなんですか」と信じるようなアホな人間はまず居ない。私たちは常に他者を観察して、自分の基準で他者を判断している。老人を蹴りながら「僕は優しいです」と言っている人間を、我々は「優しい奴だ」などと思うことはない。

 

 メカクシティアクターズでも顕著なのだけれど、例えば「この女の子は睡眠に関する病気なんです」と言われたので、ふむふむ思ってその女の子を観察してみても、一向にそういった素振りを見せない。ウツラウツラしたり、眠気と闘ったり、そういう描写が一切無い。それがそのキャラクターの根幹を占める要素(目つきが悪い理由)であるにも関わらずだ。ところが最新の7話で突如思い出したようにその病気によって倒れたりするもんだから、これまた視聴者は呆れるわけである。「今まで病気の素振りなんて一切無かったやんけ!何でこんな都合よく病気が表れるねん!」となるのだ。

 

 要は「睡眠障害」という設定だけがあり、睡眠障害の「描写」は一切してこなかったので、視聴者に全く伝わっていないわけである。設定がキャラクターに反映されていない。これはその子だけではなく、「コミュ障」設定の男の子が全くコミュ障でなかったり、恥ずかしがり屋設定の子が全く恥ずかしがり屋でなかったり、またさっきまで罪悪感に押し潰されそうになって泣いていた子が、廊下で知り合いに会うと途端にケロッとした顔をして歓談を始めるなど、設定うんぬん以前のメチャクチャなシーンもある(生き物として一貫性が無い)。

 

 「設定」だけはせっせとやるのに、「描写」に関しては恐ろしいほど手を抜くのである。キャラクターたちは延々と自己紹介をするのだが、視聴者はそのキャラクターの価値観も性格も心中も、またそのキャラクターの行動実績も、何もわからないのである。「君がそういう人だってのはもう聞いたから、はやくそれを見せてくれよ。」

 

 魔法科高校というのは、キャラクターたちが自己紹介をして、解説をして、さらに実演をするので、そこがメカクシティとは少し違う。魔法科高校の問題は、「世界観がわからない」という点に尽きるだろう。選ばれた10の家系は犯罪し放題とか、成績によって制服が違うとか、なかなかトンデモなのだが、トンデモならトンデモなりに説得力を持たせる「描写」をすれば済む話なのだが、どうも「キャラクターの自己紹介→実演→解説」に終始しており、世界観の説明描写はする気が無いようである。とはいえ、魔法科高校はエンターテイメント作品としては体を成しており、(思想的な面は置いておいて)そこまで酷い作品だとは私は思わない。

 

 メカクシティアクターズの場合は、世界観はどうでも良いのだが、キャラクターたちが延々と「自己紹介のような会話」「自己紹介のような回想」を続けており、魔法科高校のような「実演」や「解説」がほぼ無いので、まずエンターテイメントとして成立していない。起承転結が無いのだ。ここが大きなポイントであると思うのだが、1話の中で起承転結もできないような作品が、いやそれでは要求し過ぎであるとすれば、1話の中で「実演」も「解説」もできない作品が、では一体どのような最終回を描けるのかということである。しっかりとしたストーリーのあるアニメ作品は、起承転結のある1話1話が12個集まって、それがその作品全体の起承転結を構成するというものであるとするならば、メカクシティアクターズはたぶんそういうことはできない。1話1話が全て「自己紹介」で構成されており、それが12個集まったとしても一体何ができるのか。このアニメのラストは、たぶん「大きな自己紹介」で終わってしまうレベルのものだと私は思う。

 

 私は、口だけではなくきちんと最後は行動を示す司波さんとその作者は、いかに「俺ツエー」であろうが、「自己投影し過ぎ!」であろうが、「荒唐無稽」であろうが、それはそれで立派だと思う。アニメとはそういうものであって、「行動してナンボ」だと私は思う。だから、いつまで経っても行動しないメカクシティアクターズは見ていて非常に歯がゆいし、だんだんとどのキャラがどのキャラであったかもおぼろげになってくる。ロシアの小説を読んでいるときのように、キャラクターの顔と名前が一致しなくなってきている。私も驚いたのだけれど、本当に話数が進むほど、誰が誰だかわからなくなるのだ。

 

 私はメカクシティアクターズを最後まで見るつもりではいるが、もう期待はしていない。どうも好き勝手にいろんなエピソードを書いては「あれもパラレルワールド」「これもパラレルワールド」「それは時系列(世界線)が違うんだよ」と言って物事をハッキリさせない作品であることは確定的になっており、であれば視聴者側もそこまで力を入れて見るような作品ではないということだ。私もこれからはもう少し諦めて、メカクシティアクターズを見ていこうと思う。