メカクシティアクターズ act09

 

 

 なんかOPが3DCGになっててみんな大騒ぎだったな。俺もあの目の死んでるキャラクター達には笑い転げた。でもわけのわからん中盤の絵本(日記?)の作画には筆で丁寧に力筆したりしてて、すごくチグハグだよね。

 

 まだネットに一般人が少なくて、著作権についての意識もユルユルだった頃に、俺はYoutubeダウンタウンのガキ使をよく見てたんだけど、やっぱりテレビを作ってる人たちが何を気にするかって、それは「視聴者に伝わってるか」が最重要項目であって、だから浜ちゃんとかがたまに言ってたのは「目が散るで」「目が散ってるで」(視聴者・観客は今そっち見てない・集中してないで)っていうことで、俺はそういうのを聞くと、「やっぱりプロはそういうとこを気にするんだなぁ」って感心してたもんだが、このメカクシティアクターズっていうアニメは、もう目が散るとか散らないとかそういうレベルを超越してるよね。

 

 前にも言ったけど、7話あたりで急に「はい、今3話と4話のこと思い出して!」って言われて、一体誰が思いだせるんだよ?そんなの思い出せるのはファンしか居ないだろって。俺たち人間っていうのは思考力も記憶力も集中力も有限であって、それをいろんなものに分配して生きている。俺はメカクシティアクターズにはもちろん興味はあるけど、でもメカクシティアクターズよりももっと好きなものや興味のあるものって一杯あるわけで、メカクシのことを四六時中考えて生きてはいけないよね。だから、7話あたりになれば3、4話の記憶なんかおぼろげになってくるよ。特にメカクシは主張性が弱くてさらに時系列がメチャクチャなんだから(繋がりや特徴が無いので「芋づる式」に思い出せない)序盤の話はどんどん忘れていっちゃうよ。それをじんさんとか製作側は無視して勝手に話を進めちゃうから、視聴者としてはストレスが溜まるんよ。

 

 イチ視聴者としては「俺そんな集中してないで?」ってことを言いたい(これは不誠実な態度なのかな)んだけど、製作側はどうも理解してない感じ。ファンだけに向けて作っているというか、「カゲプロの世界について知りたい!」と思っている初心者のことは想定していない。今回の9話のOPなんかも、まず3DCGっていう時点でみんな絵に意識行っちゃって、音楽なんか聞いてないんだよな。みんな笑い転げて、歌詞なんか右から左に抜けて行っちゃってるのに、製作側としては「説明できたぜ!」っていう感覚みたい。導入としては成立してないのに。そこにすごい断絶があるというか、製作側は「説明したでしょ?」って言うんだけど、こっちとしては「ちゃんと説明してもらってない!」って言いたくなるんだよな。マジックをやるとき、左手に観客の注目を集めておいて、その隙に右手でチャチャッと細工をするっていう手法がよくあるけど、それをやられてる感じ。それを意図的にやっているのか天然でやっているのかはわからないけど、とにかく視聴者は目を散らされまくってわけがわかんないんだよ。このアニメの「メカクシ」っていう言葉はそういうことを表してるのかな。

 

 あと、今回ニコニコのコメントでよくあったのは、「アヤノの家ありえないだろw」っていうもので、まぁそれは俺も思ったかな。まどかマギカの家とか学校も、常識的に考えるとありえないデザインだけど、それでも視聴者はすんなり受け入れられたんだけどね。まどかの9話頃にはその世界観に違和感を唱える人なんて居なかったんだけど、メカクシとか魔法科は、未だに「この世界どうなってんの?」みたいなコメントが多くて、世界観が視聴者に伝わって無いんだよな。そういう、世界観を納得させて視聴者に受け入れてもらうアニメと、いつまで経っても違和感を与え続けるアニメの違いっていうのがどういうところから生まれるのかも考えてみたい。

 

 でもやっぱりOPはほんとに笑った。いつもの二次元顔が来るかと思ったら人形みたいな3DCGだもんな。ギャップにやられた。たぶん9話のことは忘れないと思う。そういう意味ではすごくおもしろかった。