呪いも怨念も無いインターネット

 

 

 野々村竜太郎ブームに違和感を唱える人がたくさん居るのってやっぱり、野々村を笑ってる側の人間たちに罪悪感が無いからだよね。「こいつを笑ってる俺らもクズだよな」っていう姿勢が無い。

 

 ニコニコ動画創価MADだったり、ビリー・ヘリントン周辺のAVだったり、ホモガキ流入前の淫夢だったりを愛好する人たちには、きちんとそういう意識があった。インターネットがアングラだった頃から連綿と続く、「俺たちって半分犯罪者だよな・・・」「冷静に考えたら人権侵害ってレベルじゃないよな・・・」という意識。

 

 そういう意識は今はもう完全に消えてる。変な奴・おもしろい奴がいて、そいつを笑うときには、笑ってる俺も同じくらい変でダメな人間なんだっていう罪悪感だったり後ろめたさだったり、人目のつかないところに隠れなきゃっていうリスク管理だったり、そういうものを、今のネットの人ってぜんぜん持ってない。俺が健常者だ健常者だって忌み嫌ってるのはそういう人たちのことでもある。カミナリさん家の窓ガラスを割って逃げない子どもたち。俺はワクワクしながら「おいヤベェよ!逃げようぜ!」って彼らに言うんだけど、彼らは「何で逃げるの?俺ら何か悪いことした?」って言うんだよね。そこにすごい断絶があって、俺は絶望する。鬼ごっこが成立しない。俺はそれがすごくつまらないんだよね。今回野々村を笑ってる奴らだって、ノーリスクでやってるじゃん。野々村って別に権力でもタブーでも何でもない。テレビでも放映されるような、普通の人間。ならそいつをいじるのだってノーリスク。「ノーリスクならやれるに決まってるじゃん」って、俺は冷めるんだよね。

 

 野々村の発狂自体もネタとしておもしろくないんだ。なぜなら、野々村があそこまで取り乱す動機も理由もきちんと存在してるから。それは保身であったりもするだろうし、また、彼の中にだけ存在する正当性が世間に通用しなかったり、そういうものを上手く伝えられなくて彼が泣きじゃくる気持ちというのは、俺にはわかる。もちろん公式の場であんなふなっしーみたいになれるのはそうとう珍しい人物だけれども、彼がすごく異常かと聞かれたら、そんなことはないだろうと思う。彼には発狂する理由がきちんとある。理由があると空気は壊れない。

 

 『呪怨』っていうホラー映画があって、俺はこの映画はすごく怖かったんだけど、実は日本人の中には数パーセントくらい、呪怨を見て笑い転げる人たちっていうのが存在するんだ。その人たちっていうのは別に強がって笑ってるわけじゃない。心の底から呪怨がギャグにしか見えない。白装束の女がアウアウ言いながら階段を四つんばいで降りてくるところなんて抱腹絶倒らしい。笑いとホラーは紙一重ってやつ。そういう人は俺の観測範囲でも10パーセントくらいの割合で居るんだよね。

 

 でも、怖がる人も笑う人も同じ画面を見てるわけで。じゃあ画面上では何が起こったのかというと、「異常な奴が異常な様子で急に出てきた」ってことだよね。「白装束の黒髪女が突進してきた!」そこで怖がる人と笑う人に分かれる。でも見てるものは同じ。「変な奴が出て来て空気を一変させた!」

 

 それが大事だと思うんだよね。「変な奴」であることも重要だし「空気を変えられる」ことも重要。じゃあ野々村って変な奴なの?って考えたときに、あいつは大して変じゃないってことになる。議員になれる奴が変な奴なわけない。あの発狂は、追い詰められた人間ならごく自然にやることであって、それをあいつはたまたま公の場でやっちゃっただけでしょ。ということになる。で、空気を変えられるのかっていうと、それもない。だいたい空気を一変させるようなものをテレビが取りあげるわけがない。テレビというのは空気を壊してはいけないからである。だからあの野々村の発狂は、空気を壊さない程度の発狂でしかないのだ。あれはただの「醜態」であって、放送事故には決してならないのだ。

 

 野々村はホラーじゃないと言っても良い。野々村を見てても、別に不安にならないでしょ?不気味さが無い。そういうもんをいじったって、解釈の幅も少なければ、こっちが反撃を受けるリスクも全然無いわけで(社会的に認められたいじり)、そんなことやったってつまらんやろ、というのが妖怪の意見。まぁ、インターネットがテレビ化したってことだよね。インターネット自体がすごく狭くなった。昔は鼻くそほじってボケーっとしててもバンバンと無編集の外国の情報が入って来てたんだけど、今はもう国内コンテンツであふれ返っちゃってて、外国の情報なんか要らないんだよね。

 

 「あっちで話題になってるならこっちでも話題になる」っていう状況にも陥ってて。ネットユーザー個人個人は断絶されてタコツボに篭もるようになったんだけど、「場」自体はすごく均質化してる。匿名ダイアリーに居ても嫌儲板に居ても、目にするニュースは同じだし、ツイッターに居ても話題は2ちゃんねると同じ、という世界になった。場所に違いが無くなったのよね。

 

 「ゼロ年代でネットは終了!これからは消化試合!」ということを俺は口を酸っぱくして言ってるんだけど、今回の野々村騒動もそれを象徴する現象だよね。2010年までのネットだったら野々村なんか軽く叩かれて終わりだったよ。それを無理やりムーブメントにしないといけないくらい、今のネットってネタが無い。いろんな資本が入り込んで来て、「商品」は増えたけどネタは減ったんだよね。

 

 野々村ブームにしっくり来てない人たちっていうのは正常だから安心していいよ。あんな安全に消費できるものはインターネットに必要無い。しっくり来なくて当然なんだから。しっくり来ないまま、俺たちは死を待つだけなのだ。