俺は別に

 

 

 俺は別に匿名ダイアリーから言及されても良い。恣意的な引用で印象操作されてもいい。誤解されるっていうことは、それは誤解を解くための説明のチャンスをこちらに与えられたということでもあるから、俺は嬉しくなる。それに、誤解されてもかまわない部分を誤解されたならスルーもできるし、誤解されるということには安心感もある。「ああこいつは、結局本当の俺のことなど何も知ることができないのだ」という安堵感を得ることができる。どっちにしろ、名無しと付き合うのって、実在の人物・アカウントと付き合うのよりはよっぽど楽。だから俺は、ふぇい太周辺のヒステリックな防衛反応はちょっとよくわからない。まぁ、どうやってインターネットを使うのかは人それぞれだから、「俺みたいにノーガードでやれ!」と要求することはできないけどそれでも、名無したちがふぇい太に対するレジスタンス投稿をするとすぐに飛びついて削除を要請する戦略っていうのはちょっと理解できないな。

 

 「自分の望むようなイメージでしか見られたくない」って思って行動するのが昨今のネットユーザーの特徴なんだけど、そんなの無理だと思うんだよね。「俺をこういう風に見ろ!」なんて他者に強要することは誰にもできないんだから、例えば俺が誰かから「masudamasterは理系だよね」とか言われても、俺は苦笑いするだけなんだけど、サードブロガー以降の人たちってそういうことがあったときに、「私のことを理系と言うなんて誤解です!印象操作です!削除してください!」みたいな速攻性があって、そんな剣幕じゃ怖くて誰も言及できなくなると思うんだが、どうもそれが最近の戦略のトレンドみたいなんだよね。

 

 「私のことを完全に理解して誤解を無くしてから話しかけてください」ってのはものすごい過大な要求で高コストであって、インターネットの理念に真っ向から反対するものだと思うんだけど、昨今のブログサークルみたいな人たちってけっこうそういう要求してくる。もちろん、そういう繊細なコミュニケーションが健常者の作法なんだ、小さなユートピアを作ってそこで生きていくんだって言われたら、妖怪の俺は退散するしかない。でも、そういった繊細さを維持し過ぎると、いつしか彼や彼らのグループがすごくアンタッチャブルな存在になっちゃうんじゃないの、秘密組織になっちゃうんじゃないの、だったら最初からクローズドでやればいいんじゃないの、と俺は思うわけです。

 

 まぁ、インターネットから公が無くなって数年が経ちますし、こういうことを言うのも時代遅れ甚だしいんだけど、それでも言いたくなった。簡単に噛み付いて威嚇するなよってことを。そういえばミーアキャットが削除要請してるっつってたけど、それは俺とミーアの喧嘩記事も入ってるわけ?それでそれは消されちゃうわけ?もしそうだとしたら、片方の要請だけで公の議論が削除されちゃうのはどういうことだっていう問題にもなると思う。そういうこともあるから、やっぱりインターネット上のものを「消す」っていうことにはもうちょっと慎重にならんといけないと思うのよね。そんなことを俺は考えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

feitaのはてなハイク

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 健全(=安全)な批判の提言

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匿名ダイアリーの運用について

http://anond.hatelabo.jp/20140801071012

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