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当たり前のことで悩むのはなぜか(1)

 

 

 健常者の皆さんが、ネットでのふるまい方について悩み始めている。特にこれははてなの周辺で顕著な現象なのではないかと私は思う。これは、日本のインターネットの中でも特にはてなが「ユートピア」のように見えやすい、またはユートピアを作りやすい環境に見えるということが原因の一つであろうと考える。だから昨今のはてなユーザーは悩み始めている。はてなに抱いていた幻想と、今現在自分が置かれている現状のとギャップに混乱している。ユートピアが作れない!しかし私に言わせれば、そういった混乱は必然である。私が見るに、シーサーブログであったり、アメーバブログであったりでブログを書いている人間の方が、よっぽど外界および他者に対する緊張感を持ちながら記事を書き、またインターネットに対して過度な期待もしていない。インターネットとの距離のとり方を彼らは解かっている。では、何故はてなに滞在するとそういった緊張感や距離感が無くなってしまうのだろうか。健常者ははてなの何に憧れ、何に苦しんでいるのだろうか。今回はそういったことについて考えたい。

 

 私たち人間というのは、息をするだけで誰かを傷つける可能性がある。私たちの一挙手一投足には加害性が満ちている。そういったことにいち早く気づき、社会問題・差別問題について強い意識を向ける人間が集まったのがはてなである。そうでなければ、「はてサ」などという呼称は創られない。はてなには左翼・リベラル・社会的マイノリティ・オタク・はたまた非モテが集結し、それが一大論壇を築いていたのである。

 

 私は実ははてなの昔のことは全く知らないのだが、少なくとも私の印象は上記の通りである。であるからして私にとってはてなとは、「少数派が集まるおもしろい広場」という印象しか無かった。そしてそういう広場は私が求めているものでもあった。

 

 はてながいつから方向転換をしたのかは知らないが、あるときからはてなは健常者、つまり一般人、いわゆる多数派を取り込むことに決めた。はてなの経営状態も経営方針も私の知る由ではないし、法律の範囲内において企業が収益を伸ばそうとすることを責める権利など誰にもないのだから、はてなが一般人の比率を増やそうとしていることにとやかく言うつもりは無い。ただ、はてなの空気は明らかに変わった。昔であれば2ちゃんねるの逆を行き、マジョリティの加害性を指摘し糾弾するのが主流であったこのコミュニティは、今や一般人たちによって「他人の加害性を指摘する人間の加害性の方が悪質」という意見に合意している。差別性を指摘するその行為もまた差別である、というガラパゴスな相対化(東浩紀には影響力があるのである)を駆使し、口うるさく陰湿なはてな論壇の影響力を限りなくゼロにしてしまったのである。

 

 さて、そのようなプロセスを経て無敵になった一般人、つまり健常者の方々である。「はてな村」というわけのわからない概念に憧れ、「はてな村のボスに挨拶しなきゃ!」「はてな村に入りた~い!」とはしゃいでいるその様は、ハンサムな男性を遠巻きに見て小声かつキャーキャー騒いでる女性の集団のようなみっともなさがあり、わけのわからない不快感を私に催させるのだが、それはまあ彼らの好きにやればいいことである。

 

 それよりも問題なのは、健常者たちの表現方法である。「差別性を指摘するその行為も差別である」という理論は一時的に人々を騙しはしたものの、結局、世界も人間もそんな理論が通るようにはできていないので、何の工夫もなく何の緊張感もなく好き勝手にブログを書いていたはてなブロガーたちは、徐々に読者たちからの反撃を受けることになる。

 

 

続く → http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/08/02/145847