人を傷つける表現をできないのは抑圧だ!って言う人がわかんねぇ

 

 

 「人を傷つける表現をできないのは抑圧だ!」って言う人のことがやっぱりがわかんねぇ。露悪的な表現をしたいけど正義の側でも居たいっていうのはいいとこ取りが過ぎるというか、調子が良すぎる。「俺は全裸で街を歩くけどみんな俺を尊敬しろ!」みたいな要求。無理だろ。

 

 人を傷つける表現を現に今している人は黙々とやってますよ。全裸で街を歩いてるけど、「俺を尊敬しろ!」なんて要求してませんよ。ところがこれが健常者になると、「悪口を言いたいけど蔑まれたくはない」みたいなことを言い出す。で、そういうことを言う奴が、じゃあ実名で発言してるのかっつぅと、ただのアカウント名じゃねぇか。アカウント名の何を守るっつぅんだよ。アカウント名という半匿名の状態ですら全裸になれないのなら、大人しく2ちゃんねるで悪口を書けよ。

 

 まぁネットがこういう状態になったのはSNSに問題がある。2ちゃんで書けばいいことを、自分のアカウントで、自分の個性を出して書きたいという欲望を人々に喚起させた。でも健常者って傷つくのが怖いから、「俺は今から悪口言うけど反撃禁止ね!」「俺は今から悪いこと言うけど、俺は悪人じゃないからね!」みたいな予防線張らないと悪口言えんのよ。健常者が2ちゃんねらーに影響された末路がこれ。

 

 悪人の顔ができないんだなぁ。正義の側で居たいんだけど、悪口も言いたいっていう矛盾に、今、特にはてなーがぶつかってるよね。まぁ別に悪口を言うことは良いと思うよ。でも、じゃあ、悪の側に堕ちろよ。「俺は全裸で街を歩くけどみんな俺を尊敬してね」って、そんなの社会で通るはずないのに、何でインターネットだと通ると思っちゃうんだろ?そこが健常者の、インターネットユートピア幻想なんだよね。

 

 最近の俺の観測範囲では、「ネットでいいとこ取りができない!」って泣いてる人がよく目について、何とも言えない気持ちになるよ。インターネットでいいとこ取りができるなんて、一体誰に教えられたんだよ?そういうのは、ただの業者の甘言であって、実際はネットも社会も変わらないよ。君の性格の悪いところをありのまま受け入れてくれる人なんて居ないんだ。

 

 このユートピア幻想はいつ頃廃れるのでしょうか。気長に見守って行きたいと思っています。