お前にやられるのは嫌なんだよ

 

 

 「Aくんに頭を触られるのは嬉しいけど、Bに触られるのは絶対に嫌!」という感情は誰にでもあって、そういう「特別扱い」を駆使して俺たちは生きてるわけ。もちろん特別扱いの度が過ぎたり公的な場であからさまにやっちゃったりすると小保方みたいなことになるけれども、それでも大抵の人は問題にならない程度の 「特別扱い」をして生きてる。当たり前。見ず知らずの男か俺の母親かのどっちかの命を助けないといけない場面に直面したのなら、俺は迷わず母親を助ける。

 

 でもそういうのがわからない人がいて、「お前はAに頭撫でられてたんだから俺にも撫でさせろ」っていう要求をしてくる人がいるんだよね。でも、俺はそいつだけには頭を触られたくないから拒否するわけ。そうするとそいつは、「公的な場で俺を拒むのか!お前は加害者だ!公的な場ではフェアに振る舞え!」って怒るんだけど、そんなの無理に決まってんじゃん。俺の頭は公的なものじゃなくて、俺のもの。私的なものだぜ。

 

 俺の頭は俺のもの。誰が触って良いかを決めるのは俺。Aくんは普段からすごく感じが良くて、趣味も合うから、頭を触られたって別に気にならないけど、普段から暴言を吐いて人を傷つけてる人がいきなり、「お前はAに身体を許してたから俺にも許すべき」なんてトンチンカンな理論で近づいて来たら拒否するに決まってるだろ。

 

 「Aがやってたから俺も」ってどういうハイエナなんだよ?Aは普段から貯金をしてるけどお前は貯金が無いどころか負債すら抱えてるのに、何で俺がお前を許すと思ったんだよ?

 

 でもそういうわけのわからん相対化(Aを許したのならBも許すべき)を用いて、悪人の自分を聖人と同レベルの地位にまで引き上げようとする奴がいる。俺たちがそういう相対化を他者に適用することは、公の場では必要になるときがあるし、それが正義に繋がることもある。だけど、公なのか私なのかはっきりとは区別のつけられない場であったり、またほとんど私的な場において、そんな相対化を悪人が自分自身に適用して好き勝手やろうとするのはただの卑怯者。こういう卑怯者という言葉に対しても「わーお前も汚い言葉使ったー(お前も俺と同レベルだー)」と言って相対化に持ち込もうとするが、そんな意味のわからない平等性は認めない。「人の嫌がることをすすんでやります」という言葉を日本人が言うのと韓国人が言うのとでは意味が違う、というコピペをネトウヨが貼っていたことがあるが、そのコピペの内容の正誤はともかくとしても、「発話者によっては意味合いが違ってくる」という真理を表している部分は正しい。当たり前である。悪人がやってきたことはそのまま悪人に蓄積されるし、また私が悪人をどう評価しているのかも、それは私が決めることである。にも関わらず悪人が「俺の今までの罪を全部チャラにして、俺の言葉と聖人の言葉を同列に扱え」と言っても、それは通らないのである。

 

 ここらへんの仕組みをわかっておらず、「あいつは許されてるのに何で!」とダダをこねる子が多い。また、はてな自体も汚い言葉は極力容認する企業なので、ダダっ子につけいる隙を与えてしまっているのが現状である。どの言葉が許されどの言葉が許されないのか、誰が許され誰が許されないのか(あの人があんな汚い言葉を使うなんて珍しいね~)、そのギリギリのラインを泳ぐのが本来は楽しいのであるが、ダダっ子はそういうサーフィンはただただめんどくさいだけなので、全てを平等にして、使って良い言葉と使ってはいけない言葉を表にして貼り出せと要求しているのである(それは自分を批判する者の口封じがしたいだけであって、本気で言っているのかはわからないが)。

 

 そんなことしたらつまらなくなるに決まってはいるのだが、しかし使用禁止用語を画一的に決めてオートマチックにフィルタリングするのも、一応は正当な解決方法である。はてなは一般人を取り込むと決めた以上、必ずいつか重大な決断を迫られる。ギークだけが使っていた時代だから許されていた「死ねばいいのに」というタグをこれからどう取り扱うのか?下ネタもどこまで許容していくのか?一般人ユーザーが増えれば増えるほど「なあなあ」では済まなくなっていく(基準の明示を求められる)。はてなはこの先どのような判断を下すのであろうか。注意深く見守って行きたい。