エマ・ワトソン

 

 

 欧米のフェミニズムってのは女性に父性を獲得させる営み、つまり女を男にする・女を男並みに強くするっていうのが出発点であり目標なんです。特にヨーロッパはその傾向が強いです。父性を志向しているのです。

 

 日本という国にはもともと父性が無いです。形式的に家父長制を敷いていただけであり、私たちの文化、私たちの言語、私たちの思考方法は基本的に母性から成り立っています。母性原理の国なのです。だから、日本が欧米からフェミニズムを採り入れても、長年の間にだんだん変化(ローカライズ)していき、「女性を男並みに強くしよう」という欧米の理念は忘れ去られ、「母性の勝利に貢献(by Midas氏)」してしまうのです。私たちの国は生まれたときから現在まで、父性が存在したことはありません。

 

 エマ・ワトソンのスピーチは父性の国のフェミニズムに関するものであり、母性の肥大に多大なる貢献をした日本および日本のフェミニズムは全くの射程外なのですが、日本人は敏感に反応しています。日本人男性はあのスピーチを聞いて「えーこれでもまだ男性性を捨てろっての?どうやって生活しろってんだよw」という感想を多く漏らしています。そういう感想しか持てないのは、我々に父性が無いから(母性的な男らしさしか持っていない)であり、エマ・ワトソンの言うことを聞いて極東の我々が男らしさを捨ててしまったら、社会生活を営めないほど虚弱な個人が残るだけなのです。

 

 「父性を与えていないのに父性を奪い取る」ということが日本では起こるわけです。これは単純に、日本と欧米が体験してきた歴史が全く違うのにも関わらず、日本が欧米の思想やシステムを採り入れるから、そういった思想やシステムを日本風にローカライズしないと日本社会が成り立たないという事情があるのです。フェミニズムに限ったことではありません。様々な思想やルールが、日本に入ってきた途端に曲解されてねじ曲がるのです。そしてそれはしょうがないことなのです。我々は欧米人ではないのですから、個と個の激しい対立にも、個と社会の激しい対立にも耐えられないのです。だったら日本風にまろやかにするしかないでしょう。だから、私たちがエマ・ワトソンのスピーチになんやかんや言っても意味がありません。我々のもっと上の段階の、雲の上のようなレベルで喋っていることを、母性社会の我々が生真面目に受け取って悩む必要もないわけです。

 

 エマ・ワトソンのあのスピーチは、『アナと雪の女王』と同様に、「男が敵ではない(去勢され尽くした)」世界で、ではフェミニズムはこれからどうすれば良いのかという、欧米先進国の試行錯誤の一つであります。欧米人はそこで「これよりもっと自由になればこの問題は解決される」と考えているようですが、私にはそうは思えません。自由になればなるほど私たちは批判の目を自己へ自己へと向けなければならないからです(エルサが増えるだけでしょう)。そういった点も含めて、これから先進国のフェミニズムはどのように整合性や存在意義を保っていくのかということに私は注目しています。

 

 

 

 

 

財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所 / 2014年1月1日 (4)

http://b.hatena.ne.jp/Midas/20140101

 

 

母性社会日本の病理

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