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トランスジェンダーとフェミニズムについてのググりメモ

 

 

・男女の内面の違いは社会が植え付けたものだ、とするフェミニスト性同一性障害をどのように説明するのでしょうか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1492880194

 

 

・性転換 ( TransSexualism )

http://www.ne.jp/asahi/village/good/transsexual.htm

 

 

・LGBT映画祭での「フェミニズムによる反トランス映画」上映計画、中止

http://macska.org/article/187

フェミニズム内部の反トランス主義

 

 

フェミニズムとは何か

http://www.systemicsarchive.com/ja/a/feminism.html

>アメリカでは、1973年に徴兵制が廃止されて志願兵制になってから、多くの女性兵士が誕生したが、女性が戦闘行為にまで参加することがよいかどうかをめぐってフェミニストたちの間で意見が分かれた。男女の完全な平等を実現するためには、女性兵士も、男性兵士と同様に銃を手に前線で戦うべきだと賛成する女性もいれば、戦争は男性原理に基づくもので、女性自ら戦争に荷担することは、フェミニズムの敗北だと言って反対する女性もいた。

こうした論争は、フェミニズムと呼ばれている思想に、狭義のフェミニズム平等主義という対立する二つの立場があることを示している。平等主義は、「もし男性が戦場で戦うことが許されるのなら、女性にも同じことが許されるべきである」とする形式的な理念であって、戦争を許容するかどうかという実質的な価値判断に関してはニュートラルである。

 

 

フェミニストなら怒るべき、トランスセクシャルを女性スポーツに参加させるな!

http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2013/05/bathroom_bill.html

>女性のMMA(格闘技)の選手として颯爽と現れたフォルン・フォックスは、実は男に生まれ整形手術をしていた所謂トランスセクシャル男性であることが暴露された。常識ある世界ならこんな男は詐欺師としてMMA協会から追放されてしかるべきだが、今やリベラルが牛耳るアメリカではフォックスを女性として競技に参加させるだけでなく、それを批判したMatt Mitrioneという男性MMA選手を反対に罰するというまったくハチャメチャな状態が起きているのだ。

トランスセクシャル男性を女性競技に参加されるというのは、女性競技への攻撃であり、女性への冒涜である。男性競技者としてはそこそこの男でも、「性転換手術」を受けて外見だけ女に見えるようにすれば女性プロスポーツで花形選手になれるというなら、いずれ女性スポーツはトランスセクシャルに乗っ取られてしまい、女性スポーツそのものが破壊されるだろう。

実際に自分は女だと思っている性同一性障害とかいう精神病を患ってなどいなくても、整形手術を受けることで富や名声が得られると考える男性が「性転換手術」を受ける可能性は多いにある。いや可能性どころか、タイなどでは特に同性愛者でも性同一性障害者でもない普通の少年が売春のために性転換手術を受けることが横行している。

 

 

 

・『In Other Worlds』―「フェミニズム」の可能性―

http://d.hatena.ne.jp/Coyote/20081202/p1

 

 

・遠藤まめたさん「ジェンダーセクシュアリティと生きやすさ 〜知ってトクする?!フェミニズム〜」まとめ

http://togetter.com/li/425842

 

 

上野千鶴子氏のフェミニズムについて

http://byoubyou.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5f77.html

>彼女は、「「家族」は第一に、性という「人間の自然」にもとづいている」とあっさりと言うのだが、マルクスは、『ドイツ・イデオロギー』で、人間とは社会諸関係の総体であると述べていて、その人間がつくる家族が性という「人間の自然」にもとづいているという考えとは明らかに違う考えを持っていた。

 それに対して、彼女は、あっさりとレヴィ・ストロース構造主義という上部構造による下部構造決定論を受け入れている。もっとも、彼女は、別の本では、レヴィ・ストロースの理論を批判はしているのだが、基本的なところはそのまま引き継いでいるようである。

 結局は、レヴィ・ストロースが、ローマン・ヤコブソンの言語理論やフッサール現象学から受け継いだと思われる主観主義と形式主義の双方をそのまま受け入れているようなのである。構造を規定するメタ構造という形でどこまでも続く、構造の重畳という形で、社会構造を捉えるいう試みは、結局、空回りし、超越的主観なる「主観の主観」的な形で主観主義哲学を基礎付けようとする試みも、デリダの批判的読解の中で、アポリアに追い込まれ、さらに、脱構築を唱えたデリダの試みは、一種の秘儀化へと陥っていき、社会的なものは、秘密の領域に追い込まれたのである。デリダは、掟や倫理の領域についての論考において、結局それは秘密であって、見えないものとする他はなかった。なぜなら、掟に関する言説は、対等な資格で対立する二項対立に追い込まれ、解決不能となるが、その解決不可能性を条件として、それらが成立すると言うからである。マルクスエンゲルスは、それらの諸問題は実践が解決すると答えている。結局、デリダたちは、一種の思考ゲームに陥っているのである。インテリ・サークル内で勝手に戯れていたらという感じである。

 現にある掟に縛られているほうとしては、こういう頭の体操で、それが抑圧的でなくなるものならけっこうなはなしだが、現実はそうはならないのである。

 

 

・「性同一性障害」言説はおかしい

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1383511&id=20324114

>「性同一性障害」を認めることは「脳に性別がある」ことを認めなければならない点です

>疑うのなら、私の名前「永瀬ユキ」でネットを検索してみて下さい。

 

 

・公開講演会「グローバル化する欲望と身体」を開催しました

http://www.ynu.ac.jp/topics/topics_876.html

 

 

トランスジェンダーフェミニズム

http://www.amazon.co.jp/dp/4755401569

 

 

・鶴田幸恵『性同一性障害のエスノグラフィ』合評会

http://socio-logic.jp/gojo/06_yamane.php

 

 

ジェンダーセクシュアリティ

http://sugp.wakasato.jp/Material/Medicine/cai/text/subject05/no9/html/section1.html