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フェミニズムは形式主義的平等と決別できるか

 

 

 形式主義的平等が政治的に正しいということになると、女性の権益のみを考える狭義のフェミニズムというのは立場的に苦しくなるのである。女子大に入りたい男性を排除するのが本来のフェミニズムであるが、それをすると世間一般は「あれ?フェミニズムって政治的に正しい思想だったんじゃ?」と疑問符を掲げるわけである。

 

 フェミニズムを遵守すれば政治的に正しくあれるはずであったのに、そのフェミニズムが形式主義的平等を放棄したときに、世間は大変に混乱するわけである。「じゃあフェミニズムってなんなんだよ」と誰もが思うわけである。

 

 本来の原理主義的なフェミニズムというのは女の事情だけを考えて、他の奴らのことは知ったこっちゃないわけである。一部のフェミニストたちがトランスジェンダーの人間に対して冷たいのも、それが原因である。フェミニズムとは女が社会と闘争する思想であって、弱者男性だの性同一性障害だの同性愛だのに関わっている暇は無いのである。

 

 まぁ、もうそんな原理主義的なフェミニズムを先進国で成立させることは不可能だから、フェミニズムは適用範囲を広げて、人権、同性愛、性的マイノリティーとも手を繋いでやって来たわけである。

 

 形式主義的平等が政治的に正しいということになると、もちろん男性も自分の権利をバンバンと主張してくるわけである。「女がやれることが男にできないのは差別だ!」となるわけである。そしてそれは、政治的に正しいのである。だから、形式主義的平等は女性の既得権益を削り取っていく。「女性だから許されていたこと」がこれからは男性にも許されるようになるし、女性だけの分野にもこれから男性が次々と参入してくる。原理主義的なフェミニズムからすれば、自分の権利を主張してくる男などは最上位の排除対象である。女性が世界で一番虐げられている種族のはずなのに、楽々と生きている男が自分の権利を主張して女の領分を侵すなどおこがましい、となるはずである。ところが、形式主義的平等が政治的に正しい社会では、原理主義的なフェミニズムのその態度は全く支持を得られない。原理主義的なフェミニズムが全くフェアに見えないのである。

 

 これが意味することは何か。それはつまり、もう大抵の女性はフェミニズムを完成させてしまっているということである。女性が差別されることは、それは男性が差別されることと同等である、と社会は見なしているのである。形式主義的平等は先進国の大多数の(中流の)女性を救済してしまっている。彼女たちには原理主義的なフェミニズムは必要ないのである。

 

 つまり、男女平等がある程度完成してしまっている。エマ・ワトソンのスピーチが非常に弱気であったのも、あれ以上強いことを言えばそれが男性差別になる(形式主義的平等に反するから)である。

 

 形式主義的平等はあらゆる既得権益やあらゆるストーリーやあらゆる感情を無効化してしまうのである。そしてそれは原理主義的なフェミニズムにはマイナスに働いているのである。フェミニズムは一体これからどうなるのか、注意深く見守って行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

「公立女子大行きたい」男性、出願不受理は違憲と提訴へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141115-00000014-asahi-soci

 

フェミニズムとは何か

http://www.systemicsarchive.com/ja/a/feminism.html