「解放されなよ!」もまたアウトソーシングであり「私はお前のママじゃない」と言ってることは同じなので

 

 

 エマ・ワトソンが2014年にどうしてあのような懇願じみたスピーチをしたのかというと、先進国の男性側が「うーんなんかすごくうるさいし、じゃあもう女の人はいいか・・・」と思い女性から距離を取り始めたからであり、そこでフェミニズム側は慌てて「おちょちょちょちょい!男ども遠くに行くな!こっちに来い!」となったからである。

 

 フェミニズムがリスペクトを失う理由は、まず彼らの解釈の二重性にある。例えば私が「年下の女性が好きです」と言うとフェミニストは「ほら見ろ!増田の言説には日本人男性のロリコン性が表れている!」と批判するし、また私が「年上の女性が好きです」と言うとフェミニストは「ほら見ろ!増田の言説には日本人男性のマザコン性が表れている!」と批判してくるので、私が政治的に正しくあるためには(フェミニストから文句を言われないためには)私は自分と同い年の女性を好きになるしかあるまい。しかし私が自分と同い年の女性を好きになってもフェミニストは何かしら理由をつけて文句を言ってくるに違いない。私はそういうフェミニスト後出しジャンケン性を知っているのでシカトできるが、ジェンダーフリーを実践し政治的に正しくあろうとしている真面目な若い男の子たちはフェミニストの批判が怖くて、もうどんな女性に対してもアプローチできなくなるであろう。そうすると若い男の子たちは 「何しても文句言われるんだったら、もう女性はどうでもいいかな・・・。2次元とか、女装男子とかの方が良い・・・誰か助けてくれ・・・」 となるのである。

 

 男性が男性を救うべき、などという例の匿名ダイアリーの書き主は、どこかでものすごい大きな勘違いをしているのではないかと思うのである。「男性が男性を救うべき」、などと彼は言うが、男性は既に男性スポーツ選手を見て、あるいは男性のお笑い芸人、男性の何かエンターテイナー、そういったものを見て救われている。それ以上の領域で男性が男性に救いを求めることなどない(それは同性愛者の領域である)。それ以上の領域は、女性性によってしか救われないのである。ところがフェミニズムは「私はお前のママじゃない」をスローガンにして、女性が男性へ奉仕・協力することをひたすら否定してきたのである。「女性性によって男性を救ってはいけない」と。もちろんそういったスローガン・運動は別に悪いことではないが、ただし、「こっちに協力してくれないのなら、じゃあ女はもういいや」と男性が思うことも、これまた悪いことではないのである。家のことをいっさいせず亭主関白でいばり散らしていた夫が定年退職を機に妻から離婚を切り出されるように、男性に一切協力しない女性が、男性にシカトされ始めるのもこれまた自然の摂理である。

 

 しかし女性がそれを認めてしまったら(「私が女性性で男性を救わないから男性にそっぽ向かれるんだ」、と女性が認めてしまったら)、先進国社会が築いてきたものが崩壊してしまうだろう。それを言っちゃあおしめぇよである。だから男性は女性性による救済を諦めて、女性から何かを貰うことは諦めて、しかし女性に興味があるフリはしないといけない。しかし女性が望まないときは興味が無いフリをしなきゃいけない。

 

 はっきり言って男性にはとても難しい社会になっているし、だから先進国ではそういう先進国しぐさからリタイアする男性もたくさんでてきているのである。そして件のエマ・ワトソンのスピーチである。「ごめんうちらもちょっと言い過ぎてた。男の人はもっと解放されていいのよ」と。ところがその「解放」も結局はアウトソーシング(女は何もしないからあんたたちで何とかしなさい)であり、根本的な解決には至らない。そもそも、女性が解放されるのと男性が解放されるのでは意味合いが全く違う。男が解放されたら野獣と化すだけである。獣になるだけ。だからエマ・ワトソンのスピーチには反発や嘲笑が向けられるのである(「おい、俺たち解放されていいんだってよw」「ちょwマジかよw人間やめちゃうかもなw」)。エマ・ワトソンの言っていることはしょせんリムジン・リベラルの戯言でしかなく、男性性で必死に社会性を保っている男性たちが男性性を放棄したら社会はとんでもないことになるに決まっている。

 

 はっきり言ってしまうと現在の先進国のフェミニズムは完全に足止め状態になっている。それは何故かと言うと「私はお前のママじゃない」が通用するのは現在の地点までであるからである。先進国のフェミニズムがここから先に前進するためには、「私はお前のママじゃない」を捨てて、女性が男性をナンパし、女性が男性を養わなければならないのである。しかし、現実にはそういうことは絶対に起こらない。現在の先進国の中でも最も進んでいるとされる北欧やフランスですら、女性が男性を養うロールモデルが一向に現れない。そういったロールモデルが現れない理由は至極簡単であり、これはAntisepticさんの意見ともかぶるのだが、要は「女の裸は男が買うし、男の裸も男が買う」という単純な理由である。男(ゲイ)は男の裸が好きであるし、また男(ノンケ)は女の裸が好きである。そして好きということは、その好きな対象に対してイニシアチブをとれるということである。なんとかして、その好きなものを自分の傍に留めておこうと努力するからである。一方、女性は男の裸が嫌いであり、そして男の裸が嫌いならば、女性は男に対するイニシアチブも取れないだろうということである。男の裸が嫌いな女性にできることは、なんとか男を誘惑して、自分に興味を持ってもらおうと努力することだけである。しかし誘惑ではイニシアチブは取れない。「アタシから離れないで」と懇願することしかできないからである。おやこれはまるでエマ・ワトソンのスピーチではないか。そう、これがフェミニズムの限界、フェミニズムの堂々巡りである。「私はお前のママじゃない」「私から離れないで」は女性が男性に対してイニシアチブが取れないことの証明に他ならないのである。そしてそれを克服するには、女性が男性をナンパし、女性が男性を養うほか無いのである。しかしそういうことは絶対に起こらない。フェミニズムにはもう上がりが見えているのである。

 

  フェミニズムに毒されている人間の「解放されたらどうにかなる。なんとかなる」という思想は非常に問題なのであるが、それはまた後日論じたいと思う。とにかく、女性が救われないのは男性の責任だとか、男性を救うのは男性の責任だとか、そんなこと言ってる限り事態は悪い方向へしか進まないだろう。アウトソーシングに次ぐアウトソーシングで事態の収拾がつかなくなるのは典型的な失敗例である。私たちにはもうフェミニズムの崩壊を見届けることしかできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まずは男性が男性を救う責任がある

http://anond.hatelabo.jp/20150114203151