フェミニストのうかつさ

 

 

 Aという領域に対しては憶測で物事を言ってはいけない、知りもしないのに軽口を叩いてはいけない、とフェミニストは言うのに、当のフェミニストたちはBという領域に対して憶測で物事を言い、Bについて知りもしないのに軽口を叩く。その非対称性が浮世離れしているのだ。自分はできるけど相手はやれない、こんなのはまかり通らない。今朝、私が将棋でやった失敗、自分の銀将は斜め後ろを攻撃できることは把握していたのに、敵の銀将も斜め後ろに攻撃できることは完全に失念して手痛い駒損を食らうという、そういうことが、これから人文系の学問では頻発すると私は考えている。政治的に正しい学問をしているはずの人間たちが、何故か手痛いカウンターを食らう場面がこれから増えると私は思う。

 

 もうひとつ、フェミニズムとは女性に主体性を与える運動であり、男性もそれに同意して女性の自立を尊重してきたはずである。にも関わらず、昨今の一部フェミニストたちの「主体性を与えられたら与えられたで今度はウチら消費されちゃうじゃん」というなんとも情けない主張である。フェミニストは一体どうしたいのか。主体性を持ちたいのか持ちたくないのか。主体性を持つということは、それは自分が消費されるリスクも背負うということももちろん含まれている。にも関わらず一部フェミニストは「主体性を持ち、なおかつ社会に消費されないワタシ」などというものを夢想しており、それが実現されない社会はオカシイ間違っているなどと言っているが、「主体性を持ち、なおかつ社会に消費されないワタシ」などというものは、もちろん世界に存在しないし、通らない。それが通るようにと頑張るのが左派・リベラルなのかもしれないが、今の私はそれにはついて行けない。

 

 エマ・ワトソンのHeforshe然り、ナンシー・フレイザーの某コラム然り、あれらは実質的なフェミニズムの撤退宣言に他ならず、先進国ではこれから徐々にフェミニズムは衰退していく。本当にそれがいいことなのかどうか私にはわからないけれども、フェミニズムの縮小は確定路線である。全てがフラットになった社会では、フェミニストも批判・相対化の対象になるのだから。

 

 

 

 

 

フェミニズムの終焉を感じたスピーチ

http://blog.goo.ne.jp/matuba96/e/416fcfd2283a9a4fb8b7c2378da1b108