オタクをからかうことの正当性 成熟してないから?自立してないから?身なりに気を使わないことは女性への危害だから?

 

 

 「成熟とか自立は別に人間には必要無いよ」「成熟してるかどうか・自立しているかどうか、そんなことあなたの人間性とは全く関係ないよ」と言っている人が、一方ではオタクを叩いている。それは自分で自分の首を絞めているだけでは?「成熟とか自立は人間に必要ない」と言ったそばから、成熟や自立をしていないオタクを叩くのは、矛盾している。オタクを叩いてる独身男女とかいるけど、あれも意味がわからない。お前らも成熟・自立してないだろ。

 

 

 「確かに僕たち私たちは成熟・自立してないかもしれない。それでもオタクよりはマシだ!」と言いますか。でもそれはどんぐりの背比べでしかないですね。そういう「程度問題」にしてしまうのなら、もしオタクたちが自身を改善して成熟し始めたら、この世で最も成熟してないのはお前ら独身男女ということになる。お前らはオタク以下になる。子持ちのオタク>>>>>>>>独身男女。

 

 

 「オタクを叩くのは、彼らが成熟していないからではない。彼らが身なりに気を使わないからだ!」と言うけどそれはそれでただの外見差別というか、ルッキズムでしかないわけでな。そうやって外見で他人を叩くお前らの方がよっぽど醜くて、そしてやはりよっぽど未成熟である、と。

 


 オタクが叩かれる原因は2種類ある。まずオタクが身なりをちゃんとしていないということと、それからオタクが人間として成熟・自立してないということ。

 

 

 何をもって成熟・自立と見なすかは人それぞれだが、結局最大公約数的なところで考えると、1.「自分の収入で食べているか」と、2.「子どもを持っているか」、そして、3.「子どもっぽい趣味からは卒業しているか」の3つくらいが成熟・自立の指標となってしまう。

 

 

 オタクでない独身男女は、1と3はクリアできるだろう。しかし肝心の2、「子どもを持つ」という条件をクリアできないので、独身男女はどう頑張ってもオタクと同類なのだ。同カテゴリーなのだ。オタクと同じ、未成熟人間なのだ。そしてオタクは、「子どもっぽい趣味から卒業」せずに「子どもを持」てる。そういう意味ではオタクは幸せ者だろう。

 

 

 私はそもそもオタクも独身男女も叩く気は無い。私は「成熟してるかどうか・自立しているかどうか、そんなことあなたの人間性とは全く関係ないよ」という言葉に同意する立場である。私が怒っているのは、「成熟してるかどうか・自立しているかどうか、そんなことあなたの人間性とは全く関係ないよ」と言った人間が次の日にオタクを叩くからである。そういう人間は明らかに論理矛盾を起こしているし、また、男性オタクを特に重視して叩いているのなら、それは結局、男性に課されている倫理的義務の多さ・父性の重要性の裏付けになってしまうだけであるし(父としての義務を果たさないからオタクが害悪であると言うのであれば、あなたたちもまた父性から逃れようもない。一生男の奴隷である。男社会は覆らない)、「未成熟・非自立・男性としての義務の放棄を叩いているのではなく、男オタクが身なりに気を使わず、女性の視界に危害を加えているのだ」などと抗弁しても、それはただの醜悪なルッキズムであり、そういうことを言う・考える人間の方が非寛容な差別者である。

 

 

 オタクが例えば誰かに直接的に加害をしただとか、オタクが公共のルールを守らなかったとか、そういう理由があれば、オタクは叩かれてしかるべきだけれども、「オタクの性的カーストが低いから」という理由だけでオタクを叩くのは政治的に正しくない。そしてその政治的正しくなさを、まさしく日本の左派リベラルフェミが遂行しているのだから全く驚きである。ちなみに「オタクが女性を性的消費するから」も叩きの正当な理由にはならない。女性を性的消費しているのはオタクだけではないし、自分を社会に性的に消費されることを拒んでいる女性もほとんど居ないからだ。詳しいことはこちらの記事で → (

http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2017/12/03/112100

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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