細田アンチの逆鱗ポイント

 

 

 俺は別に細田守のファンではないが、同時に、細田の作品を見てイライラすることもないので、細田アンチの感情には寄り添えない。細田アンチは細田および細田作品のどこに引っかかっているのか?私に言わせれば、細田の独自性など、ケモショタショタケモ、おねショタ、「家族・血縁の絆」の3つ程度であり、しかもメインは性癖的な前者2つ、つまりケモショタとおねショタが主軸であり、最後の「家族・血縁の絆」は、ケモショタとおねショタを描くための背景にすぎない。その背景の部分に噛み付いてる細田アンチが多いが、それはなんというかシャドーボクシングというか、本質を全く捉えていない営みだと私は感じる。

 

 

 細田が背景で描いてることって、別に細田以外の創作者も普通に描いていることであって、なんで細田だけ叩かれてるの?という不思議さはある。細田が日テレに「次世代の宮崎駿!」とか祭り上げられてハードルが上げられているという不幸はあるだろうけど、それゆえの「過剰な期待」で叩かれてる感じでもない。特にフェミ方面・女性勢の細田叩きはすごい。「家族・親族」に良い思い出の無いフェミからしたら、「家族・血縁の絆」を執拗に描く細田守は確かに不倶戴天の敵であろう。しかし細田が叩かれる理由はそこだけではないだろう。

 

 

 細田の作品はナヨナヨしている。男らしさは微塵も感じられない。フェミが細田守に噛み付いてる理由は結局それなのだ。そして、そういったナヨナヨ作品が受け付けないのなら、フェミの「男性は男性性を脱ぎ捨てて良いよ」とかいう言葉もウソではないのか。「男性が女性にひれ伏すことを良しとする男性をフェミが好かない」という問題は前からあって、私もこのブログで延々と論じている。男性が女性にひれ伏すことによって、むしろ男性が主人公になってしまう場合はある。そこにフェミはイライラしてるのか?細田作品は全体的にはフェミな雰囲気が漂ってるくせに主人公は男、というところにスッキリしないものを感じているのかもしれない。しかしこれは「フェミニストパラドックス」であって、フェミニズムについて真剣に考え、フェミニズムの成就を願えば願うほど、ある種、女性には冷たくならざるをえない部分というのはある。フェミニズムについて何も考えずフェミニズムの成就も目的にしていない人間の方がすんなりとチンポ騎士になり、女性を幸福にできる可能性が高いということだ。

 

 

 細田フェミニストに最も親和的な存在でありながらフェミニストに嫌われるという、まさにフェミニズムの不可能性を体現している存在である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおかみこどもとニセ医療

http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/02/03/131114

 

 

細田作品に繊細な反応する人の言いたい事は分かるのに体感的に理解できなくて毎度不安になる、一貫して挿入される独特の冷たさはスパイスで例えるならパクチー的なものなのかなあ

http://b.hatena.ne.jp/entry/367819186/comment/kesyomota

 

 

俺も細田のファンじゃないが、同時に細田アンチが何に噛み付いているのかもさっぱりわからん。 / 細田の映画を受け入れられない人は、「男性は男性性を脱ぎ捨てても良いんだよ」とか言ってはいけないと思う。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367851829/comment/masudamaster

 

 

それはそうなんだけど、少女漫画ではよくモブって切り捨てられてね?女性が描く作品ではみなを幸福にしなくても良く、男性が描く作品ではみなを幸福にしなければならないのなら、それが家父長制であり、先進国が男性社会しか築けないことの証明。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367851991/comment/masudamaster

 

 

男子の自尊心を削るというのはフェミニズム的には成功の証なんだが、自尊心が削られた男子は大人になっても家父長にもならないし正常位もしないのよね。そこで先進国のフェミが慌てふためいてるわけであって。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367852116/comment/masudamaster

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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