メカクシティアクターズ最終回

 

 

 コノハくんが銃弾でやられちゃうのが納得いかん。まずケンジローがコノハに全然ビビってないのが理解できん。ケンジローはコノハの戦闘力がバケモノだって知ってるはずでしょ?そいつが目の前に来たのに何で全然警戒しないんだろう?そして、そういうバケモノ描写をされて来たコノハが銃弾一発でやられちゃったのには本当にビックリした。俺以外にも居たぞ。「え、銃弾防げないの?」って困惑してる奴。

 

 お友達がやられちゃって、マリーが発狂するんだけど、彼女はどうしてパンツ一丁で拘束されただけの男と、紅茶飲ませて背中に乗せてもらっただけの男を友達認定してるのかよくわからん。コノハとシンタローとは絶対に大した関係を築いてないよねマリーは。あとモモちゃんとかエネにも大した思い入れ無いでしょ。なのに発狂するから、違和感がある。発狂への閾値がすごく低いと思う。これはアザミのときも思った。絶望への閾値がすごく低い。何かをやり切ってから絶望するならわかるけど、まだ何もやってないのに、子どもと夫を残して異世界に逃げ帰っちゃわれると、視聴者としては違和感しか残らない。

 

 この作品には人間関係の陰影が無い。グループ内がみな平等。たとえば現実世界の俺たちって、どこかグループに所属していても、「このグループで一番仲の良い人間」と、「一応同じグループに居るけど一番距離が遠い人間」ってできるはずだと思う。でもこの作品には無い。だからセトくんってすごくカワイソウなんだよ。セトはマリーをメカクシ団に引き入れた張本人で、いっつもマリーのこと気にかけてるし、マリーにとって一番の恩人のはずなんだよセトは。でも、マリーにとってはセトとコノハってたぶん同じ重要度なんだよね。マリーは最終回直前にコノハと初めて会ったのに、もうその時点でマリーのセトとコノハに対する好感度って同じなのよね。少なくともアニメの描写ではそうなってるわけ。だからセトはすごくカワイソウ。ていうかマリーはヒビヤとも関係築いてないだろ!って今気づいた。

 

 だからマリーの発狂が唐突というか、もっと言うと、「大雑把」なんだよね。なんでマリーはヒビヤを仲間認定してるんだろう?大した関係築いてないべ。古参のキドとかカノが痛めつけられて怒るのはわかるけど、なんでただの走り回ってる糞ガキヒビヤに思い入れてるのかわからん。

 

 ハンターハンターの幻影旅団を思い出してみようよ。ウヴォーさんが殺されたから旅団は発狂して復讐のレクイエムを奏でたわけで、あれが殺されたのがヒソカとかだったりしたら、一応形式上の復讐はするだろうけど、旅団員もメンドいから手抜き気味にやるでしょうが。

 

 そういうのがメカクシティアクターズという作品には無い。人間関係の陰影が無い。だから、登場人物が発狂とか絶望しても、すごい唐突感がある。グループ内はみな平等、で「みんな大好きだよ」なんだけど、実は「みんな大好きだよ」からは大した関係性って生まれないんだよね。だからこのアニメは何も積み重ねられなかった。シンタローが最後の最後でいいとこ取りして、「俺が主人公です」と言ったところで、視聴者は「お前今まで出てなかったやんけ!」って、ぜんぜん納得してないんだよね。やっぱり何かを積み重ねたり、何かを構築したり、何かを選び取って苦しむということがすごく大切なんだなって、このアニメを見て気づかされた。だからそういう意味では、このアニメを見て良かった。村上春樹が昭和後期とか平成に生まれてたらこんな作品を描いてただろうなーって思う。そういう作品でした。