自分の好きなものは見せびらかしたくない

 

 

 俺は自分の好きなものをホイホイ他人に見せびらかしたくないな。もし自分の大好きなものを披露しなければいけなくなったときには、十分に準備をして、悔いの無いように他人に披露して、説明したい。「これはこんなに素晴らしいんだよ!」って完璧に教えたい。

 

 「これの良さは俺にしかわからないんだ」と思ったとき、俺はそのときにすごく悲しくなったり、もどかしくなったり、怒りのような感情が沸いてくる。「自分にしかわからない」ってすごく寂しくて絶望的な状況だと思う。だから、サブカルの人たちの「これの良さは俺にしかわからないんだフフン!鼻高々!」という気持ちを俺はよくわからない。本当に彼らが「フフン!」と思ってるのかどうかも俺にはわからない。俺は「フフン!」ってならないから。

 

 「これの良さは俺にしかわかってないんじゃないか?」って思ったとき、俺は地球上でひとりぼっちになったような感覚になる。それと同時に、俺だけが魅力をわかっている「それ」に対して、すごく愛着が沸いて来る。「絶対に捨てない」って思う。それは、たとえ「それ」が大衆的な人気があるものだったとしても、その大衆たちがいっさい気づいてない「それ」の魅力を俺だけが気づいてることだってある。俺だけの解釈ってある。だから「それ」がメジャーかマイナーかなんてのは俺にとって大した問題じゃない。

 

 サブカルの人たちってそういうことすっ飛ばして「マイナーなら良いんだ!」みたいなとこあるよね。だから、「それ」自体はマイナーな存在でも、愛され方や解釈のされ方はもう出尽くしてて、すごくメジャー(画一的)な消費のされ方をしてるのに、存在だけは依然マイナーだから、そのマイナーなものに群がってるサブカルの人ってのは居るんじゃないかな。

 

 そういうのって、「それ」そのものの価値を吟味してるんじゃなくて、「それ」が有名か無名かで判断してるんだから、とてもまともな価値判断とは言えないよね。むしろ、有名か無名かで顔色を変える、そういう態度の方がすごく大衆的じゃないか?っていうツッコミは、たぶん俺以外にもたくさんの人がしてるんじゃない?

 

 だから、俺はサブカルの世界ってよくわからない。人は本当に好きなものが目の前にあるとき、周囲のものは見えなくなるはずだって俺は思ってるから。そういう思い込みがあるから、俺はサブカルの世界に行けないんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

ラーメンズファン問題

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